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思いは雲のように
徒然なるままに

このページは、小佐野哲二がちょっと考えた事・思った事・出会った事・した事などをメモ程度に書きつづるものです。
MEMO
2011.3.31「展示会に向けて」

4月5日から始まる所沢西武での展示会まであと少ししかない。私自身のモードは展示会に向けて、石の作家モードにならなくては! 今回、地震・津波・原発事故の災害災害地から数百キロメートルのエリアにいる私たちにとって、直接的に影響があるのは、放射能をまき散らす可能性のある原発事故の行方と、計画停電です。4月5日からの展示会に向けて、サブタイトルを今朝「夜の停電を楽しもう!」と決め、燭台・キャンドルポット・LEDのライトを中心に展示する事にして、過去制作した物を手直ししたり・・・。慌ただしい一日を送っていました。

2011.3.29「人間の非力と緊急時対応策の薄さの伝わってくる原発事故」

福島第一原発事故への対応は、全国いや全世界がその行方を見守っています。汚染された水が存在するために難航している原子炉への給水・補修作業。メディアから流れる報告にイライラする毎日。なんで、こんな事に対して対応することを考え設計されていないんだ!と今回、東電の作業を見ていてつくづく思いました。

電気エネルギーに頼った生活環境に置かれている私たち。平和な社会の中では、安穏とした状態であろうが、転じて、エネルギーソースは、今回のように自然界からのアタックや、可能性としては消して否定できないであろう政治的混乱から来る他国からのアタックに本当に対応できた物でなければならない。そういうものだと考えます。
過信した5層の壁(おそらく・・・)。人間の考えなど小さなもの、絶対に大丈夫と言うことはない。それが駄目だったときには、こうする、これが駄目なら次はこう。そうして、最低常に3重の対応策を持ち、直ぐに対応できる状態に持って行かなくてならない。人間の力を遙かに超えたエネルギーをコントロールしようとしているのだから、そのぐらい当たり前だと思う。今回の東電の原発設計、それがメディアから伝わってこない。非常に残念です。

2011.3.28「お腹の撹乱???」

鬼の撹乱か、はたまた何かの食い合わせが悪かったのか・・・。ここ数日お腹の調子が悪く、今朝もまだその症状は続いている。一昨日の献杯もお湯でしていて、友達から、「酒の飲めない小佐野はつまらない。。」と不評の私でした。そんなわけで、町田の家から歩いて直ぐのクリニックに行き、お腹の薬を貰ってきました。「今日明日は水物で過ごしなさい。」です。トイレに直ぐ行ける家で一日ゆっくり休養!

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2011.3.27「千葉までみんなから頂いた物資を持って行ってきました」

朝5時半家を出て、池上に住む親戚のCさんを車に乗せ千葉に、車の中には、友達から頂いた服・器・食品・花など、Cさんの用意した見舞い品色々、河口湖の水・・・。いわき四ツ倉から避難している義兄一家の住む家に行ってきました。義兄の孫達幼稚園・小学校低学年の女の子達3人の笑顔がみんなの心を和ましてくれる。テレビの中では、「福島原発の放射性物質濃度が1000万倍・・・」と怖いニュース。いわきの義兄は一昨日いわきから戻ってきていました。気持ちは、早く四ツ倉に戻って復帰したいところ。でも・・、原発事故により・・・。その心は板挟み。本当になんて言って良いのか?その心の様子が伝わります。
夜、7時過ぎ家に戻ってきて、我が家の下の子の22歳の誕生日。彼が料理を用意していました。それに買ってきた刺身を足しての誕生会「俺みんなのお陰で、ここまで大きくなりました。と言った誕生日だね」

2011.3.26「先生を偲ぶ会」

夜7時東京の狛江のお店に小学校同級生メンバー8人集まりました。2月9日に他界した小学校の先生で私の仲人さんである松本孝之先生の49日の追悼「松本孝之先生を偲ぶ会」をおこないました。当日のお昼に、長崎でおこなわれた49日法要に合わせての企画です。私のMACで長崎で撮ってきた写真をスライドショウにて流しながら、みんなで「献杯!」そして、お葬式の報告。そして、昔話。そんな中で、U君が額に入れた先生が昭和63年にみんなに書いた色紙を回覧、そして、「これは、先生が亡くなる一週間前に部屋を片付けていたら出た来た。俺が持っているより、小佐野が持った方がよい」と言って私に渡してくれました。そこには、先生の手形の入った次の文章が書いてありました。

松実会御一同様           
花は愛惜に散る。道元
 故にこそ、私たちは自分以外の 
すべての人に 自分の真心を 
捧げる 毎日であると 思っております 
 皆様のご芳に深謝する気持ちで一杯です。
          合掌  松本孝之

2011.3.25「お見舞い有り難う、Eさんは明日いわきまで行ってきます」

福島から避難しているEさんに東京から連絡「いわきにいるK君から、『月曜日まで家に行けるけど、それから先は行けなくなる。放射能も増えているので、避難命令も出ている』」と言うことで、家の中にまだある貴重品や大事な物を持ちに、置きっぱなしになっている仕事で使っていた車をちゃんと置き直しするために、明日朝早く車で行って来ることになった。(3月22日の写真の家です)お昼過ぎ、EさんはIさんから服を貰いました。車にいっぱいの水を積んで、一緒に河口湖から町田に戻った。
町田では、美紀の師匠であるこじましんさんが、花や食べ物を持ってお見舞いに来ていただいていたそうです。有り難う!また、台湾から荷物が届きました。台湾からはこれで5回目です。本当に本当に有り難う!狛江の友達が服や食器類など色々用意しているので、明日は貰いに行ってきます。明後日、千葉に避難し一軒家で生活している義兄さん家族に持って行くために。

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2011.3.24「上のバイパス沿いにできた大きなショッピングモールに行ってきました」

私、昨日の続きで今日はLEDの電池でも電気でも使える石ころライトを作っています。今日は、アクリルの断面磨きの加工と組み立てです。本来ならば、3〜4時間ぐらいあればできる行程ですが・・・。
「東京で、野菜類が売っていない、山梨で買ってきて・・・。」と美紀から電話。私の工房から富士山の方に上がり、吉田と本栖湖方面を結ぶバイパスとの交差点に大きなショッピングモールができ、そこが本日開店だそうです。早速、そんな情報をくれたご近所の友達家族と行ってきました。ホームセンターの「くろがねや」と「マックスバリュ」というスーパー大型店です。他に周りに小型店舗が並んでいます。お店の中には一杯人が居て、いっぱいある商品をキャリア月の買い物かごに入れています。東京の友達が「納豆があったら買ってきて」と、、いっぱいありました。
そんなわけで、私の作業は、あまり進んでいません。夜は、Eさんと一緒に町営お風呂に行ってきました。すごく暖かく夜寝られました。

2011.3.23「一緒に河口湖に来たEさん」

昨日の朝雪。一緒に河口湖に来たEさんと、津波で流されてしまった薬を貰いたいので吉田の市立病院に行きました。病院で2時間待っても順番が来ない。受付で聞いてみたら、「あと一時間は待っていただきたい」と言う。「津波被害にあって、薬を貰いたいだけです。薬の名前も解っています」と言ったら、直ぐに見てくれました。有り難うございました。工房に帰って来て、近くを散歩。床屋さんに入り久しぶりの散髪。色々お話しをして、帰りに1000円と言われ、代金をかなりサービスして貰ったことを深く感謝していました。

今朝は起きると、富士山が顔を出していた。Eさん「富士山大きいですね」と嬉しそうな顔。今日は、一人で自分の家を造っている筒井さんの仕事を手伝いに行っていました。でも午後雪が降ってきたので、早々終わって帰ってきました。
Eさんと色々お話しをしました。彼の気晴らしになればと思い、一緒にこちらに来ましたが、元気になっていく彼を見て今回一緒に来たことは本当に良かったと思いました。あと二日あります。

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2011.3.22「美紀の友の家の姿」

今、町田の家に家内の友達一家がいて一緒に生活している。今回、一週間の予定ですので、そんな友達のご主人と一緒に河口湖に来ている。少しでも気分が紛れたくれたら、暗い気持ちが少しでも明るくなってくれたら、と思ったからです。
でも、いわきの四ツ倉に住む美紀の友達達は、原発の不安と遅遅とした復興の中で生活しています。一人の友達から、以前送ってくれた今我が家に住むEさんのご自宅の写真。そして昨日送ってきたメールを載せます。

写真の建物は自宅で右側に有る瓦礫の所に、彼らの工場がありました。

「皆無事ですか〜  四倉は水道が死んでます。  町中も泥がれきでいっぱいになっています。復旧は何時になるやら・・・ 仕事も皆休眠状態で先行き明るい話題が皆無・・
原発ご苦労様これからは永遠に休んで下さい。お願いしますって祈りたい。  皆復興に向けがんばろう^^」

私のできることには限界があります。そんな時に友達が手を差し伸べてくれることは、とっても温かく力になります。私の行動ももっと広げたいと思いますが・・・、四ツ倉の義兄は、家族を千葉に運んだ後四ツ倉に戻り復興に向けて息子と一緒に頑張っています。原発の危険に曝されながら・・・。
四ツ倉に住む人達の早期の復興と。義兄達がくれぐれも無事で頑張ってくれることを祈っています。

2011.3.21「陶芸家の木曽さん有り難う」
 河口湖の工房に戻る途中、山中湖に住む陶芸家木曽保人さんの工房に寄った。先日、彼からの電話で、「何か役に立つことが有れば、言ってくれ」と言っていたので、全て失って千葉に避難した、いわきの焼き物が好きだった儀姉や、我が家にいる美紀の友達一家の為に「いただける器があったら・・・」と相談しました。
夜、彼は暖ボール一箱に器を入れて持ってきてくれました。有り難いです。「器は、100円ショップで」と言っていた儀姉が、喜ぶ顔が浮かびました。有り難う!
美紀の友達の分は、我が家から移動するときに。とも言っていました。本当に有り難う!

また今日、台湾の友達からお米が届きました。本当に本当に有り難う!

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2011.3.20「いわきの家族に会いに千葉へ」

いわきの兄一家は、千葉に住む彼らの息子の家にいる。今日は、美紀と二人でそこに向かう。向かう高速道路はほとんど車が無く、2時間弱で、九十九里の町に着く。義兄が一人いわきに戻るのに間に合った。土木業をしている義兄は町の復興のために戻るのだ。原発事故の行方も解らない町に戻って行く義兄・・・。彼の跡を継いだ長男は、もう先に戻って作業をしているという・・・・。残された儀姉と3人家族は、近くにアパートを借り今日が引っ越し。少ない荷物をそこに運び込み、足りない物を車で20分ほどのホームセンターに買い出し。必要最低限の物を買ってきた。
儀姉さんから聞く災害時の話。真っ黒な波から逃げるように車を走らせぎりぎりで高台まで逃げ切ったという。30秒遅かったら命はなかった!実際に一緒に逃げて逃げ切れなく亡くなった人もいたという。アメリカ映画のワンシーンを見るように私たちは話を聞いた。

夕方には町田の家に戻る。夜、近所のIさんが食べ物を持ってお見舞いに来てくれた。我が家で一緒に生活しているE家のご主人が数日前に散歩して知り合いになっていたからだ。ご近所さん達からも、「これ着られない?」と、その温かな気持ちを貰っている。一昨日届いた台湾からの保存食に続き、彼らから今日も海苔やお茶などが届いた。本当に私たちは、温かな人達に囲まれて生活していたんだと、改めて感じた。

2011.3.18「夜の計画停電に対する準備 = LEDランタン制作」

昨晩「結婚式のろうそくを持ってきて」美紀に言われた。夜の「計画停電」に対する準備です。でも、電池ランタンの方が安全です。朝、工房にある物で、石を使わず、簡単に明るさを重視した簡単なランタンを作ろうと思い、以前1月11日に「室内温暖化計画」に使用したポリカプラダンの残り材と普段作っているLED電球などで、作ってみた。単3電池が有ったので、その電池ケースにポリカブラダンを巻き、ポリカブラダンの穴にLED電球6個を差し込み固定、配線して上下をビニールテープで固定。約1時間半で制作。先日買ったお米・ろうそく・制作したLEDランタンを持って町田に戻りました。結婚式のろうそくを美紀に渡しながら「結婚式みたいだね・・・、あれ???今日3月18日。結婚記念日じゃん」地震・津波・原発事故で頭がいっぱいで、すっかり忘れていました。
朝作ったLEDランタン結構明るく、それに、薄紙を被せるともっと明るくなりました。家での評判良いです。

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2011.3.17「台湾から保存食を送ったとの連絡受ける」

昨日、台湾の友達からメールが来た。EMSで保存食を町田の我が家に送ったとの事。今日それは着く予定。数日後に米なども別便で送ったとのメールです。昨晩遅く、スカイプでそんな、友達と日本にいる娘と私の3人で話をしました。「東京エリアの食糧難の原因は流通遅滞と消費者のパニック心理によるもので、一時的な現象だから、4〜5日すれば回復するよ。」と言っても、どうしても送りたい気持ちが強く、送ったとのことです。本当に有りがたい!大切に我が家に来た美紀の友達家族や千葉に避難している義兄家族に食べて貰います。世界一暖かい・美味しい食べ物だと思います。本当に有り難う!
日本で働いている娘を心配して、おばあちゃん達が台湾に戻ってこいと言っているとのこと。娘は、「そんな事はできない」と強く言っていました。立派です。そんな彼女を見守っていきたいと思います。

被災地ではこの寒さに、物資・燃料が届かないために、避難した人達が亡くなっている。時間が経てば経つほど、その数は増える現状のようです。可愛そうで可愛そうで・・・。折角助かったと思った命を・・・。都内では、生活に不自由していない人達が、パニックのように生活必需品を買いあさっています。あさましいですね。そんな人間にはなりたくないものです。と思いながらも・・・・。

兵庫県の友達から、メールが来た「兵庫県では空いている県営住宅を被災者用に開放していますが、条件は地震によって家が全壊したご家族のみで原発による避難者の受け入れはしていません。・・・」他調べてみると各県でそれぞれ、地震に関しては対応してくれているようです。
今回は福島の放射能避難者に対する条例もそれに加える必要があると思います。おそらく、原発問題が解決しても、そのエリアでの農産物や海産物は商売にならないはずです。それらの従事者達は、職業を変えるか、場所を変えるかといった選択を強いられると思いますので・・・。

2011.3.16「また地震怖かった・・・。これ、余震???」
     
「遠くにいても被災地での避難者救助の方法は無いのかなあ・・・」

昨晩の富士山周辺を震源地とした地震「怖かったですね」揺れた時石油ストーブを付けていたので、それをまず消しました。被害は特に無く。その後、友達からメールや電話が一杯来ました。今朝も友達から電話で、「夕べ電話したけど、全然繋がらなかった・・・」とのこと。有り難いですね。自分を思ってくれている友がいる。それは本当に、生きていくことの力になります。私も、何人かに連絡。無事を確認。みんな無事だったとのこと。良かったです。
思ったら行動する。生きる意味ってそこにあるのではないのかな?

 今回の災害で住む家を失った人達、他の町にいる家族・知人をしたって移動している人達もかなり出てきているようです。河口湖の町にも空き家になっている所が結構あります。そんな空いている個人宅と自治体との連携でそういった人達に対する対応などできない物でしょうか?
 実際に、アパート経営をしている人と話しました。「空き家になっている部屋があるけど、ガス・水道・電気代を払って貰えたら提供しても良い」と言っている人もいます。その点に関するサポートを国・県・町等の自治体が取る体制をとれるなら、その人の気持ちは具体的に動くはずです。そして、「こちらにおいで。何も持たなくても生活できるように待っているよ。友達一家を連れてきても良いよ」の言葉が、本当に家を無くし途方に暮れている避難地行った人達の心を救ってあげる事になるはずです。 「立場での対応ではなく、愛の心での対応を!」

遠くにいて何もできないと言った人達も、何もできないとただテレビを見て「かわいそうだね。自分の所がそうならなくて良かった。」だけで終わるのではなく。近所の人達とこの異例の地震津波事故に関して一緒に考え彼らを向かい入れる体制作りを考えていくこと。そんなことが被災地の避難所の負担軽減にも繋がる対応の一つでも有ると思います。如何でしょうか?
私たちができる具体的なことを、私なりに色々考えて、このページの中で書いていきたいと思います。

今、9時20分からの計画停電が始まりました。電気に頼っている文明社会の現在、石の加工も電気無しでは仕事ができない状態です。でも、ノートPCは動きますので、それに向かい文字を打ち込んでいます。
その後も考え、赤い文字にしました。

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2011.3.16  「TOPより」

3月11日予想外の規模での東北沖での地震・津波が発生いたしました。
これによる死者・避難者の人数が史上最大となった災害であります。
また、これに伴う原子力発電所の事故の恐怖も我々の生活を脅かしております。

この災害で直接被害に遭われた方々に、心からお悔やみ申し上げます。
そして、早急なる彼らの心の安らぎと、生活復帰を心からお祈りするとともに、
遠くに住む私たちが、義援金以外に何かできることがないのか。
しばらくの間、私の「哲二の徒然帳」で考えていきたいと思います。

・・・3月16日哲二記・・・

2011.3.15「家を無くした美紀の友達一家が町田の家に来てくれました」

12日に連絡が着いた美紀の友達一家4人が、今日町田の我が家に来てくれました。無事で良かったです。美紀の携帯電話からその友達「有り難うございます。お世話になります」との挨拶。「みんな生きていて本当に良かったね」と返事。暫く町田の我が家で生活して貰おうと思っています。私は河口湖で仕事をしています。
長男から夕方電話がありました。人が増えたので、米を買おうと思ったが、多摩センター辺りのスーパーには全然売っていない。河口湖で購入できないか?との事。スーパーに行ったら。全然無かった。町のお米やさんに行ったら山積みされていました。購入したらボックスティッシュをプレゼントしてくれました。このお米、少ししたら町田に運ぼうと思っています。

2011.3.14「節電にご協力を」

今日、ひさしぶりに河口湖に戻ってきました。
富士山はいつもの通り黙って私を迎えてくれました。
迎えてくれるところがあると言うことはとっても有り難いことです。

今回の地震で、家を失い、家族を失い途方に暮れている人達。ライフラインが絶たれ今現在も苦しんでいる人達がいます。
それに追い打ちするように、福島原発事故の刻々と深刻化するニュースは、どうも残念なことに、昨日イメージし描いた最悪シナリオに近づいている感じです。やばいぞ!
計画停電についても、はっきりしない東電の意志決定に途惑う日本社会。
私たちにできる事、先ずは、最低限の電気で生活する事を考えましょう。普段習慣で何気なく使っている物にも、電気は存在しているケースが多いです。、電気を本当に必要としている人達にそれらを送る気持ちになって、もう一度身の回りにある電気をチェックし、それらが、本当に使う必要があるのか否かを考え直し節電に努めましょう。そんな行動も、被災した人達を支援することに繋がると思います。

2011.3.13「展示会終了 災害の傷跡は大きい 日本大丈夫!」

鎌倉での展示会も今日で終わりました。
テレビ・メディアでは、福島第1原子力発電所の災害と地震・津波被害者達の惨事の様子を写しています。大変な事になっています。私の展示会ごときでは有りません。
私も、原発の大惨事が起きないことを深く深く祈っています。今回、予想外のキャパを超えてしまった地震(M9.0)であったようで、緊急時が生じた時に作動すべきサブシステムがことごとくトラブルを起こしている。といった想定外の事態が生じているようで、問題を深刻化させています。もし、最悪のシナリオが展開した場合には、福島エリアは、チェリノブイリやスリーマイル島の、にのまえにならないとも限りません。そんな事がないことをくれぐれも祈っています。
明日から、東電が「計画停電」を発表。
昨年からLEDの電器を作っていて良かったと思っています。幸いに、今回の展示会で残っている物が何点も有るので、これで、明日、電池を買ってきて、計画停電の時、部屋の照明に使おうと思っています。

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2011.3.12「東北沖大地震の翌日」

朝ここ数日通り5時45分に携帯目覚ましが鳴り、私を起こした。何回も揺れを感じ、ゆっくり寝た気がしなかった。
家族の次に気になるのが、兄姉・親戚・友達の安否です。美紀の実家がいわき市の四ツ倉海岸ですので、すごく心配で、連絡を昨晩から取ってはいるものの、電話は全然繋がりません。朝、そんな町に住む彼女の親友から電話。家族無事だったそうです。でも、家が津波そして火災で壊滅してしまったとのこと。幸い彼女の実家は、大丈夫だったとの事。今直ぐにそっちへ行ってあげたいが、今の私たちに何もできず、ただただ、祈るばかり。電話に向かって「気丈でいてね」と言っている美紀の姿がやるせない。
そんな美紀を残し私は、鎌倉に向かい車を走らせた。道はスムーズで、9時には到着。
多くの友達から、兄姉から電話やメールを貰い直接的に間接的に無事を聴き、こちらの無事を告げる。
地震発生地点からこんなに遠くても、やはり被害が大きい。心配で、心配で・・・。お昼近くには、義理の兄一家の無事だと言う情報を得た。良かった!でも、堤防のすぐ側にある家は、津波にやられてしまっている。美紀の同級生から写真がメールに添付されてきた。・・・・・。
時間と共に確認される被害数値が増えている今回の地震。続く余震での再被害の無いこと、そして心から皆様の無事を、そして早急なるライフラインの確保を祈ります。

2011.3.11「東北沖大地震」

鎌倉のホテルで展示会中。ホテルの電気が消えた!どうしたのかな?暫くすると・・・・。何だか乗っている船が、大きな波で揺られたようにその揺れは始まった。暫く揺れ動いている。頭の中は、「地震だ」ぐらいにしか思っていなかった。「何処が震源地だろうか?」フロントで、ホテルの人達から情報が少し入り、三陸海岸辺りが震源地らしい。との事、表の道路の信号が止まっている。また揺れた。これは結構きつい!人力車で、「珈琲を飲みに来たの」とお客さんが到着。
ホテルの駐車場の車に行ってラジオを聞く。大変大きな地震だった事を改めて認識した。
家族は大丈夫かな?電話をするも、携帯がつながらない・・・。だんだんに不安になってくる。午後5時、ホテルのOさんに断って帰宅することにした。渋滞の道路。車中、携帯で家内・二人の子供に電話・メールを何度もトライアル。上の子から、「大丈夫」のメール。下の子からは電話。暫くして、やっと美紀からメール。みんな無事でした。そして美紀とやっと電話が繋がり「停電で、一体どうなっているのか解らない・・・」との話でした。夜0時にやっと家に帰り着きました。「今さっき電気が付いたばかり」とのこと。

2011.3.10「展示会真ん中。静かな会場でコンピューターのなかを整理していました」
展示会場で、時間があったので、コンピューターの中にあった昔撮影した写真を整理しておりました。その中にこんな写真が有りましたので、アップしてみました。この雲、富士山の頭にあったのですが、やがて東に移動した大きな渦雲。そうです、宮崎駿の「天空の城ラピュタ」の「龍の巣」を思わす雲です。自然とは、自分のイメージ以上の現象をダイナミックに見せてくれます。

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2011.3.6「展示会二日目:気持ちの良い天気です。その陽気に誘われ・・・」
展示会の会場から歩いて7分。由比ヶ浜の海岸に家内の薦めもあり、天気も良いので、家内に会場を任せ、お昼のお散歩。少し海を見に行ってきました。砂浜の海岸です。風が強く、海岸の砂が顔にあたって痛いです。雲がとっても面白く、最近持ち歩いているコンパクトカメラで、パチリ!海には、サーファー達の波に遊ぶ姿・その奥の海にはウィンドサーフィンが、この風に爽快に走り回っています。

会場に戻り、夕方にはお隣さんのイタリアンのお店で、ジャズコンサート。60人ほどの人たちが集まっています。そこに集まっている人たちも、何人かこの会場に顔を見せて、喜んでいただいています。

2011.3.5「展示会初日です」
鎌倉の展示会初日。朝、お泊まりの客様が会場にきていただいております。美紀の「かばさん」が売上第一号!好評です。
美紀のお友達も車で来て、会場で作品を見た後、海に美紀と一緒に散歩。その後は、長谷観音を見に、ぶらりぶらりゆっくりとした時間を過ごしたようです。
美紀は、時間のある時は、会場でうさぎさんを彫っています。楠の香りが気持ち良いです。会場に流れるスローテンポのBGMは、私のお気に入りの環境音楽・・・。

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2011.3.4「飾り付け完了!」

朝4時に起き、15日までに提出しなければならない確定申告の為に、ボチボチとやっていた昨年度の領収書整理作業。何とか、朝7時までに完成しました。少し仮眠し、近所の山に植物探し。枝物の種類は少ないけれど、グリーンをゲット!町田の家の辺りは本当に田舎です。山から見下ろすと、畑の向こうに山々(丘陵)の重なりぐあいが気持ち良い。
お昼に家を出て、鎌倉のホテルソサエティにスムーズに走り2時頃到着。飾り付けが完成したのは夜の6時頃。
約11畳ほどの一部屋を私と家内の作品で飾りました。まあ、こんな感じかな・・・!
さて、明日からどんな出会いがあるのかな?ここ数日は満室のようですし、この展示会は、ホテルの泊まりのお客様にも見て貰うのを目的にしていますので、朝9時(できれば、8時ぐらい)から夜は8時まで会場にいる予定です。案内状には10時〜18時となっていますが・・・。結構流動的にしています。
ホテルですので、駐車場もしっかり有りますので、美紀と二人、車で朝6時出発22時頃帰宅の9日間。バテないようにしましょう!
春の鎌倉散歩がてらお出かけ下さい。

2011.3.3「明日は鎌倉に搬入です」

3/1つくばでの展示会が終わりました。会場に来ていただいた方有り難うございました。
昨日は朝東京の家から山梨に行き、石板を作ったり、小松石で花器を造ったり、と忙しい時間を過ごしました。今日は午後から、つくばの展示会の前に鎌倉用に作っていた作品や、昨日そして午前中に作った作品を箱に入れ、夜町田の家に。
そういえば今日はおひな祭りでしたよね。残念ながら、我が家には、娘がいないので・・・。普段通りの一日でした。

2011.3.1「トップより」

「弥生」大地の目覚めの月
今まで、植物たちは凍った大地の中でごそごそと、いや、ひっそりと時間を過ごしていましたが
そろそろ、その芽を地表に出し、大きく背伸び!
それに合わせ、動物たちも動き出します。
さて、私たちも少し猫背の姿を正し、大きく深呼吸し、胸を張って
何か始めよう!春の心地よき息吹を感じながら

今月は、5日から13日まで鎌倉のホテルの一室を借りての展示会です。湘南に作る磊造の空間にお出かけ下さい。

・・・3月1日哲二記・・・

2011.2.24「つくば西武での展示会」
石だけで2年、家内と二人で2回目の計4年目のつくば西武での展示会が始まりました。
一年ぶりのつくば、販売員の人たちも、「あら、お久しぶり」「一年ぶりですね」「えっ、もう一年経ってしまったんでしか?」などというアットホームの挨拶から始まりました。
宿も、ウィークリーマンション。今回は、DM版下作業の可能性もあるので、ネットも使えるところを借りました。早速、宿に帰ってから役立っています。

展示会会場には、新しいお客様や、「このふくろう持っています。以前新宿高島屋で、購入しました。」と何と10年振りぐらいにお会いした熊本から来たお客様。偶然と思えないものを感じ、話し込んでしまいました。

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2011.2.21「昨日今日は展示会の為に身体を休めています」

治ったはずの風邪が、実はまたぶり返してしまったので、次の展示会に向けて昨日と今日大事を取っていました。昨日午後には、展示会に並べる作品を車に積み込み、東京の家でゆっくりと身体を休めた一日。今日は今日とてこれまたゆったりと、明後日からの準備と言っても、炬燵に入りコンピューターに向かってリスト作成やら、細々した卓上作業でした。家内は、まだ一生懸命に作品作り・・・。
明日は、お昼頃にはつくばに向けて出発です。夜には会場作りです。一週間会場に張り付いています。頑張ります!

2011.2.16「風邪も直り、全力全開で作品作り」

九州から戻って、展示会の準備のために、河口湖で作品作り・・・・。所が、どうも風邪を引いてしまったようです。一昨日から咳き込んで、頭痛がガンガン・・・。何もする気力がわきません・・・。昨日一昨日と、そんな状況が続いていました。やっと今朝、そんな風邪も良くなったようです。そんなわけで、今日から、本腰を入れて作品作り、九州に行く前に作りかけていたふくろうさん達を何とか仕上げ、在庫が少なくなってしまった鉄丸石のふくろうペンダントを作り始めました。外は、一昨日降った雪が、陽の光に照らされて、眩しい!午前中見たそんな外の風景も気付いたら、真っ暗になっていました。時間が経つのは本当に早いですね。

2011.2.12「長崎から羽田へ」
長崎の朝、雪が舞っていた
帰りの飛行機 上空は雲の厚い壁 その壁を抜けると
眼下に広がる雪原  いや、雲原
とても雲海といった感じではない
何処までも広がっている白い大地のような世界
この雲の中に先生の魂は他の魂達と一緒にいるのかもしれない

飛行機の静かな鼓動
その鼓動に誘われ私の意識は深く・・・遠くへ・・・
飛行機の強い鼓動のリズムが私の意識を呼び戻した
あっという間のフライトでした

一人になってしまった奥様 先生の長い看病本当にお疲れ様でした。またお会いしに行きます。

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2011.2.10「先生、いまで色々有り難うございました」

昔、結婚式の記念にと私たちの仲人さんから頂いた油絵を東京の家から、山梨の工房に持って行って私の寝起きしている部屋に2日前掛け、じっと眺めていた。それは、画家であり私の絵の先生そして小学校時代の恩師ででもある仲人さんが、私たちの結婚式の直ぐ後にフランスに留学したときに描かれた絵である。言葉のわからないフランスで一人寂しく、でも一生懸命に頑張っていた先生の心が投影された感じの物です。そんな絵をゆっくり改めて眺め、先生の事を思っていました。
その次の日、心がザワザワして、長崎に住む先生の様子を奥さんに聞きたい気持ちと、でも、何だか素直に電話を掛けられない気持ちの中にいるとき、奥さんからの電話。「だめだった・・・・」その言葉に返す言葉もなく、暫く沈黙の私・・・。1月4日に集中治療室でお会いし、その後回復の方向に向かっていたはずだったのに・・・。
昨晩車を飛ばし東京に、そして今朝飛行機で長崎に飛びました。その間、今日仕事がお休みだった小学校時代からの友達E君が、他の仲間に連絡を取ってくれたり、私を羽田まで送ってくれたり。感謝です。有り難う!他の友達からも、「いけないけど宜しく頼む」と電話やメール。
長崎の会館で奥様そして、箱の中で静かに眠られている先生に挨拶。
「先生、色々有り難うございました。みんなも同じ気持ちでいます。」

2011.2.5「若葉マーク・もみじマークを一緒に貼っている車の後ろを運転」
年をとったら「もみじマーク」を車に貼らなければならない。その時に、若葉マークと一緒に貼って走ったらこわいだろうな〜と冗談で昔言っていた自分。それが今日、目の前を走っていた。信号が赤なので、パチリ記念撮影!でも、このマークだから若葉マークと一緒に貼ってもと思っていたのだけど、2011年2月1日から、この「もみじマーク」は「四つ葉マーク」に変更された。前の車の右側が葉ごとに色が変わっている四つ葉のデザインでは、こんな貼り方では格好が付かないね。
ちなみに、運転者は、グレー髪のシャキッとしていて、とても70歳を超した感じには思えない男の人でした。
2011.2.2「ふくろうのお香台を制作してみました」
ふくろうを作っていました。赤坂のギャラリー小川のオーナーから「ふくろうのお香のアイテムを作ったら?」と言ったことばを頂いたので、今日制作してみました?どんな物でしょうか?下の台とセットでの展開かな?下の台をもう一工夫する方が良いのか?それとも、低コストを重視すべきか・・・?
2011.2.1「真鶴までドライブ!ポカポカ天気でした」
昨日、一昨日と河口湖では寒い日が続きました。今日は、朝から真鶴までドライブ!石探しです。昼には、採石場に行きましたが、乾燥しきった採石場は、砂埃で、マスクが必要な感じでした。石も余り見つけることが出来ずに・・・。午前中の海岸風景を写真撮りしました。雲一つ無いぽかぽか天気でした。

2011.2.1  「トップより」

寒い日が続きます。河口湖では、今月20日まで毎土曜・日曜の夜8時から20分ほど花火を打ち上ています。
かなり寒いですけど、空気が乾燥しているためか、とっても綺麗です。夏の花火とはひと味違った感じかな?

今月は、筑波西武での展示会。それが終わるとすぐに鎌倉が来月初めから有りますので、作品の作りだめをしておかなくては。

2011.1.31 「まだまだ、コンピューターの世界にいた今日です。」

今日の午前中は、次にある西武筑波のDM制作をしていました。夜は展示会の時に頂いた「真澄」(可愛い3才の娘さんを連れて来たSさんから頂きました・・・。)で一杯!気心知れた友と、二人で美味しい酒を飲みました(家内にも少し残してあります)。
今まで有るのはこの日のためか。そして、明日はここから始まるのか。そんな時間を過ごしました。因みに、おつまみは、一品40〜250円の計一人600円也、でも、至福のつまみでした。
明日は明日で良い日が待っているのかな?・・・真鶴に石を探しに行く予定です。

2011.1.30「展示会終了!河口湖でカメラマン&デザイナーの作業していました」

昨日赤坂での展示会が終了いたしました。最終日2時頃から、集中してお客さんが来てくれました。諏訪から3才になる娘さんを連れわざわざバスに乗って諏訪からお出かけいただいたSさんご夫婦本当にありがとうございました。一年ぶりに合った3才のAちゃん会場をあちらこちら嬉しそうに遊んでいました。可愛いね。
最後盛り上がりを持って赤坂の展示会も終了しました。ギャラリーのオーナーさんから、来年もと言うありがたいお話しを頂き、本当に感謝です。

今日は、朝河口湖に戻り、午後から、依頼されていたジュエリーの作家の作品写真撮り、そして、展示会のDM制作をしていました。それは、上の「DM版下作品集」をクリックしてください。

2011.1.27「会場では、ゆっくりとした時間が流れております」

毎日家内と一緒にバスに乗り、小田急多摩センターから多摩急行線で約40数分で赤坂駅。時間もゆっくりな為に座っての通勤です。会場では、オーナーさんがもうお部屋を暖かくしております。有り難いです。「今日はどんなお客さんが来てくれるかな〜?」と、お客さん用にと珈琲を入れ、味見。オーナーさんのお心遣いもあり、持ち込んだMac Bookはネット接続可。お客さんが、来ない時間はコンピューターで調べ物など・・・。あまり集中しすぎていると・・・、じっと私の作品を見ている友達が・お客さんが、「すみません、直ぐに気付きませんで・・・」と立ち上がり挨拶。お茶や珈琲を飲んで貰い、ゆっくりお話しをし、作品を見て貰っています。今日は、駒ヶ根ユースホステルの管理人をしている友達が突然現れました。

2011.1.24「展示会初日です」
展示会の初日です。
会場も落ち着いた感じに飾る事ができました。
BGMも流れ、珈琲も準備できました。
美紀の新しいキャラクターの「かばさん」です
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2011.1.23「搬入の日でした」

搬入日。午後1時の約束で赤坂に車で向かう。一年ぶりに行ったギャラリー小川では、すでに、昨年と同じ形に飾り台がディスプレーされておりました。そこに3時間ぐらいで、作品を並べ4時半には車のハンドルを握っていました。明日から、どんな人たちに会場で会えるのか楽しみです。今晩は、鍋で、家族4人食卓を囲みました。

DMの版下を製作する仕事を本格的に始めようと思い、ホームページを制作していました。今日、アップしますので、皆さん宜しくお願いいたします。

2011.1.21「2週間ぶりに町田の家に戻りました」

展示会に並べる作品達を箱に入れ、車に積み込み今日は、町田の家に戻りました。お風呂に浸かり、大分伸びた自分の髪を自分で切りました。実は、ここ15年間床屋に行ったことがありません。お風呂に入った時に、手探りで「梳き刈る君」を右手に持ち左手でながさを確認しながら長い部分を梳き切っています。何時も少し長めですが、そんなにおかしくなく髪の毛を切ることが出来ます。これで、気持ち良く展示会に臨めます。

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2011.1.19「糸魚川の小石で作ったペンホールダー&ペーパーウェイト」
久しぶりに小石でふくろう以外の物を作る。
昔、今は亡き父と行った糸魚川の海岸で見つけた小石を久しぶりに使いペーパーウェイト&ペン立てを作った。
今度の展示会に並べようと思う。
2011.1.17「石ころライト完成!」

昨日から制作していた物の一つLED仕様の「石ころライト」を今日完成させました。電球色のLED電球3本使用(ACアダプターで家庭電気での使用も可)ですが、先日秋葉原で購入した電球色に比べると光が白い色です。確かに今まで使用していた白色LEDに比べると柔らかくなっている。秋葉原のLEDは形状が四角だったので扱いづらいのです。だから、まあこんな物かな。この電球色LEDも50個ほどまとめ買いしているので、当分使おうと思っています。

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2011.1.16「仕掛品いっぱい・・・」

今日は、川の石での花器・御影石の石板・石ころライトと全て仕掛かりを制作していました。最終的に作品が展示会に間に合えばいい。イメージが出た時に作れば良い。時間を考えると、出来るだけ手を動かしていたい。そんな気持ちが今日の仕事内容かも知れません。夜8時近くなったので、300円で入れる町の温泉にGo!  私が入ったときには最後の人が出て、一人貸し切りの温泉でした。湖畔では冬の花火の音が雷のようにドンドン・・ドン!!。体も気持ちも温まりスーパー経由で工房に戻りました。

2011.1.15「展示会まで後一週間・・・・」

展示会まで後一週間。今日は、小松石で花器を制作していました。5点ほど何とか形にしました。次の展示の作品作りも制作するのは当然ですが、2月終わりと3月はじめの展示会のDM用作品作りも、この時期しておかなくてはいけません。気は少し焦っています。
明日はそちらも考えながら、作品作りかな?

そう言えば、ここ数日の間に何人かの作家さん達から、電話でDM制作の依頼の話がありました。会期まで余裕のある人は、私の展示会が終わるまで待って貰っていますが、一人はぎりぎりなので来週早々にその作業をすることにしました。その今日お話しした日本橋三越で良く展示会をするビーズ作家Kさんの話では、彼女の展示会にDMの作品を求めて来るお客さんがここの所多くなっているとのこと、私が作っているDMがとっても好評だそうです(本当かな〜?)。この仕事は、友達からの依頼で始めたもので、作品を送ってもらって写真撮りから版下制作をして、印刷会社に入稿するまでの仕事です。こちらの方の仕事も、ちゃんとホームページで仕事を受ける形にして、本格的に始めようかな?

2011.1.14「石を見つめて・・・」
天気の良い一日。朝のゴミ出しに大きなゴミ袋を持って散歩。その帰り道、黄金色の藁畑(?)に私の影が、クッキリ。思わずパチリ。「オオ〜イ!」と自分の影に手を振ってみた。
展示会に向けての作品作りをと・・・。でも、一日石を見て今日は終わる。
気分転換にと、灯油とお米を買い出しにドライブ。灯油は、78円/Lと昨年より6円値段が上がっていた。
2011.1.13「案内状書きと明かり「四季」の制作」
昨日、1月24日からの展示会の案内状が届いたので、今日は午前中から、夕べの内にリストアップしていた人達の宛名印刷。そしてそれぞれのハガキにチョットだけ手書きの挨拶文。あっという間に午後2時頃になってしまいました。ハガキを出しながら友達の工房などドライブ!
河口湖の湖畔道のドライブ、あまり車もなく気持ち良い!富士山、腰から上は雲の中。

午前中「四季」用の特注和紙が届きましたので、ドライブから戻ってきて昨日の続き。小枝の和紙押さえも作り、何とか7時には完成しました。届いた和紙をセットして写真撮り。

今日の夕ご飯は、手際よく麻婆豆腐を作り、一人で食べる。一人の食事は少し味気ないけど、美味しかった。
夜8時過ぎ、この徒然帳を書いているときに、息子二人から、それぞれ電話。「今、会社の帰りだけど、ご飯食べた?・・・」と長男から。その電話を切ると、下の子から、「今何しているの?仕事の帰りだけど、ご飯は食べた?」と、上の子と同じような質問。何だか嬉しいね。

2011.1.12「鉄丸石のペンダント作成」
昨日・今日と鉄丸石のペンダントを制作していました。石錆の綺麗なところを残しながら形を決めていきます。だいたいの形にした後、紐を通す穴を開け、それから、再度形を整え、磨きにかかります。5個のペンダントを磨きますが、この磨きだけで、約6時間ほどかかってしまいました。久しぶりの磨き作業。終了時には背中が固まっていました。

11月の初め頃お願いした明かり「四季」の和紙が出来上がったという連絡がありました。明日には、そちらを作る石の粗削り作業で、今日は終了!

2011.1.11「室内温暖化計画」
河口湖の工房で生活していると、ここ数日の急な寒さに、特に夜の冷えは、きつい物があります。朝目が覚めて室内の温度計が、マイナス3度・・・!なかなか布団から出られない。
近くで鉄の作家をしている(本人は「鍛冶屋さんだよ」と言っていました)Nさんにそのことを漏らしたら、「ポリカプラダンを硝子に貼ると良いよ」とのこと。透明ポリカーボネートでダンボールのような構造になっているので、間に空気の層ができ、二重の硝子のように成るとのこと。値段もサブロク板(914×1829mm)で2,000円弱で売っている。彼の所にあった買い置きを3枚譲って貰い、工房の寝泊まりしている部屋の窓にそのサイズにカットし貼った。気持ち暖かい感じがします。

因みにポリカーボネイトの特徴としては、衝撃に非常に強く、耐熱、耐低温性に優れ、強度は同じ厚みのガラスの約200倍、アクリルの30倍といわれます。燃え広がりにくいので安全。となかなかの優れものです。でも、光の反射がチョット眩しいです。

2011.1.8「ふくろう作り」

河口湖に一人戻り、昨日・今日と次の展示会に向けてふくろうを作っていました。やはり、一週間以上作品作りをしていなかったので、ゆっくりとした作業でした。それにしても、こちらは寒いです。ストーブを一日付けっぱなしでした。

2011.1.6「九州に行ってきました」

帰りの関門海峡。向こう岸が、本州です

昨年の暮れ、福岡に娘が住んでいる義理の兄から「九州まで、車でどのくらい掛かるかな?」との一言。ちょうどその時、長崎に住む私の仲人さん(恩師でもある)の具合が良くないので、お見舞いに行きたいと思っていた私。

そんなわけで、姉と義兄・美紀と私の4人、私の車で、1月2日町田を出発!
東名→新名神→山陽→北九州道をひた走り、翌朝(3日)福岡に住む姪っ子の家に着。もうすぐ3歳になるMちゃんを囲んで団欒。福岡の町を散歩と、まったりとした一日を過ごす。

翌日(4日)美紀と二人、長崎に車を走らせ、先生の家に行き奥さんと一緒に、先生の入院している病院へ。先生は集中治療室にいるため、約10分程の面会。眠られていた先生は、奥さんの声で目を開け、私たちの姿にその顔をムニュニュとさせ、目にうっすらと涙を浮かべた。
看護師さんから先生の様態の好転のお話しもあり、「良かったね。良かったね」と奥さんの笑顔での声掛け。
看護師さんの了解の元、それまで自分の首にしていた「鉄丸石のペンダント」を『早く回復してくれ!』と、先生の胸元に掛けて分かれる。奥様と先生のお宅で暫くお話しをして、福岡に戻る。

その夜、「夜の面会でお医者様に『明日の午前中に普通病室に移れます』と言われました。哲ちゃんと美紀ちゃん来たのも解っていましたよ」と電話がありました。
本当に良かった!今回九州まで行って本当に良かった。

翌朝(5日)10時半福岡を出発。心軽く、片道1,100kmの道のりを快調に車を走らせ、今朝4時半町田の自宅に到着しました。

先生の自宅応接間で、私の作品に再会

2011.1.1「新しい年です」

また、今年も新しい年が始まりました。さて、どんな年になるのでしょうか?
今年は昨年よりも良い年になりそうな気がするのは、私だけでしょうか?(毎年初めには、何時もそう思っている私かもしれませんね)でも、そこからスタートすると、きっと良いことが訪れると思います。えい。エ〜イ オ〜〜〜〜!

 
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