2月の日記

二人の気まぐれ日記(近況報告)

 美紀  2004.2.29  それで、え、えんかい?

 しめやかに、粛々と、そのフランス料理店での結婚披露宴は、幕をあけた。。花嫁の従姉の司会による新郎新婦の紹介が、おごそかに、始まる。。30名程の人々の、それとスタッフの人々の、よそいきの顔が・・・・続く訳が、やはり、なかった。。自他共に親族?と思われている人が、各テーブルを、移動し始めている・・・。彼の賑やかすぎる山形弁に近い東京弁が会場を笑いの渦に巻き込んでいく・・・・。抱腹絶倒にほぼ近い人も多々いる。司会者と彼とのバトルが大声で始まる。。よそいきの顔が皆崩れていく。。。

 そう、今日は先(2月1日の日記参照)の山形のおばあちゃんの孫娘の結婚披露宴が、恵比寿の高級フランス料理店で、しめやかに?粛々?と行われたのでありました。

 美紀  2004.2.28 哲二の近況

 叶恭子の睡眠時間が3時間というのは、あの見事な健康体そのものと関係があるとすれば、十分納得できる事なのかもしれない。しからば、自称ビール腹、私の目から見てもぶよぶよの、典型的中年太りになりつつある健康体にはほど遠い我が家の主が、何故か昨日今日と睡眠三時間というのは何故か。病後のいたわりは何処へ行ってしまったのか・・・・。G4・・・・使いこなせるようになる頃には、健康体?になってるかもしれない。

 美紀  2004.2.26  哲二の近況

 「む・・・・うっ・・と・といれ・・といれ・・・(ばたん、ぷしゅっ、しゃ〜〜っ、うぅぅぅぅ、ぅぇ〜〜ん、ふぅぅぅぅ〜〜〜〜。)」・・・山梨にいる主人からの電話の話から推測してみました。昨日はこんな状態の繰り返しで大変だったようです。あんまり元気がないとやっぱり心配です。自分の気持ちも沈んでしまいます。今朝の電話ではお粥が食べられたとのこと。ほっとします。皆様もお身体にはお気をつけ下さいますよう。

 美紀  2004.2.25

 G4が着きました。買っちゃった・・・そうです。

 美紀  2004.2.23  夢か現か・・・

 私の実家は目の前が海だったのです。小さい頃は、今あるような堤防は無かったような気がします。。夢かうつつか、というのは、げんかんの、とを、ガラガラとあけると、あしもとにしずかに波がうちよせているのです。はれていたのではないでしょうか。澄んだ波でした。すいへいせんをながめたような、ながめなかったような。。遠い記憶です。。

 美紀  2004.2.22  小さい頃の記憶

 私の一番古い記憶というと、目が覚めたら、そこは汽車の中で、窓際にいた私は朝日を浴びていて、輝く海が眩しかった事を覚えています。大きい岩小さい岩もあって多分推測なのですが、宮城近辺の海岸線を走っていたのだろうと思います。。前日の夜、家を後にしたのでしょうね。きっと。

 綺麗な清水の湧き出るところでの何人かでの洗濯(深緑の藻が水面近く沢山揺れていていつまでも見入っていました)。昼間でも薄暗くヒンヤリした人っ子一人いない神社の境内(花巻の神社かな)。間借りしていた雑貨屋のおじいさんの眉毛を半分擦り落としたところにセロテープで貼ってあった白いちり紙(どうも私が彼の膝の上に乗っかっていて動いて何かの拍子に手が滑ってしまったらしい。)。縁側から見える隣の畑と肥溜め、とその撒いた臭い。裏の一面のリンゴ畑。小さなスキーの板を引っかけて滑る雪の日。雑貨屋の前を走る路面電車、それに乗って通った保育園、その運動会、楽しいお昼寝の時間、とうとう脱がないで保母さんを困らせた下着のままでの身体測定(単に胸の痣を見られたくなかっただけなのです)、路面電車の窓から見える小学校の見事に続くコスモスの花。バイクに顔を引っかけられて通った病院、その加害者が家に持ってきてくれた何冊かの絵本(メリーさんの羊他)。十円玉を飲み込みタクシーで病院に走った夜、その病院に飾ってあったカラフルな小さい傘、喉が痛くてしばらくは味噌おにぎりしか食べられなかったこと、ウンチに十円玉が入ってないかどうか観察していた母(いや、私かな)。薄暗い階段を上り詰めたところですぐ上の兄が私の後ろに隠れ、泣きわめき追いかけてきた二番目の兄の涙でくしゃくしゃの歪んだ顔、激しい息使い。母の大鍋で茹でている沢山の栗。晴れた日飛行機がばらまいた何百枚もの紙(盛岡だったかな)、また飛行機がやってくるかもしれないと空を仰ぎながら待ちわびた日々。。以上、前後してますが入学前の私の断片的な記憶です。もっとあるかもしれません。こうしてみると、食べてどうだったかという記憶がないのはちょっと不思議です。(味噌おにぎりで生きていたのか?)

 美紀  2004.2.20  疑問?

 今回、息子が我が家に来るからと言う訳ではないらしいのですが、友達が米を沢山送ってくれました。彼女のいとこが作っていて、年間購入しているとの事。そのいとこの話では、二期作で前期の米はちまたの知るところ不作だったらしいのですが、後期の米はそうでもなかったようです。それで、有り余るほど?彼女の家に送られて来たので、我が家もその恩恵を被ることが出来た、ということでしょうか。

 とにかく美味しい!のです。冷めるともっと美味い!。去年急に上がりだしたので、生協の米もワンランク下げたりの最近の我が家では、久々の、極上米であります。ふと、思ったのですが、その有り余るほど?のお米は、全国的なものなのでしょうか。だとしたら、生協の米の値段も下がるのでしょうか?・・・待ち遠しい思いです。。

 美紀  2004.2.19 GROOVYな夜

 イェ〜イ!ロックだぜ!・・・革ジャンをはおり(私)、サングラス(主人の眼鏡でも良しとしよう)を掛け(主人)中年の夫婦がいそいそとロック会場「曼茶羅」(吉しょう寺)へ出向く。。私なんぞは特にこの年までロックなどには縁がないものと思いこんでいたのが、主人の甥っ子が親を乗り越え、学歴を放り投げ、ロックの道を突っ走っているものだから、なんだか身近なものに思えて来始めています。一昨年の暮れ、初めていった新宿の会場でも、今回の「曼茶羅」でも、彼は、ヒーローでした。今回は特にその成長が目立っていました。声音も声量もなかなか良い。バンドにも負けていない。なかなかのものです。性格の良さは言うまでもない(身内の欲目ではないと思う)ので、彼の純粋な気持ちがストレートに伝わってくる。。彼の世界がそこにはありました。。THE GROOVES 3/21「新宿21世紀」 ・4/21 pm9:00〜「曼茶羅」。これからの成長が期待できる甥っ子「峰・典」(みねおきといいます)応援してくださいね!

とてもGROOVYな夜でした。。

 哲二  2004.2.18

 今日は、確定申告の申請書類を作っていました。回覧板で、「パソコンでLet's try パソコンで確定申告が簡単に作成できます」というチラシに魅了されて、パチパチと打ち始めました。下地データーが不完全だったために、可成り時間を掛けての作業になってしまいました。扶養家族の記入の所で、5人まで記入できる欄があり、そこに2人の子供を打ち込み次にすすもうとすると、どんなことをしても次にすすまないのです。空欄があるので、埋めてくださいと言うメッセージが出てくるのです。(どうも、子供をもっと作れということでしょうか?)国税局の問い合わせ番号に電話してみると、macのInternet Explorerでは、不具合が起きるらしいのです。Netscapeで、やってみてくださいとのこと、で、また最初から・・・(どうも最近macユーザーは、肩身が狭くなってきました。しかも古いタイプのバージョンでは、益々です)最後まで来て、さて、印刷と思いきや、これまた、全然動かないのです。色々調べようと、説明を捜したのですが、対処方法の説明は、すべて、win用のInternet Explorerに対するものです。疲れた頭は、完全にショートしてしまい。 (結局手書きの書類にしました。・・・・・)

 哲二  2004.2.16  早春賦

 河口湖の工房でも、この数日、春の日差しは暖かい。でも、仕事で使う水の冷たさは、まだまだ冬です。氷水の中に手を入れての作業は続きます。お昼、実家の庭先で福寿草が、可愛く顔を出していました。・・・ほっとします。でも、昨夜は、春一番・春の嵐がやってきた。波のように吹き付ける風は、ガラス窓をたたき、回りの木々の枝枝を踊らせ私の眠りを妨げるのでした。また、前の晩は、降りしきる雨音が、やがて小さくなり、朝目が覚めると、うっすらと銀色の世界。季節が、冬という鎧を脱ごうとしています。早春の夜に・・・・

 美紀  2004.2.15  もうすぐ・・

 昨日は昨年より18日も早い春一番が吹いたと思ったら、今日は一日中ぽかぽか陽気で、まだ2月なのにいいのかな?なんて、思ってもしょうがないことを思ったりしていた。

 流木を使ったつくしんぼうの作品が出来た!と、悦に入っていたら、ぽきっ。えっ・・・・。まっ、無くてもいいか、ここんとこを・・・ちょちょいのちょい・・・なんて。。つくしんぼうは、かわいいねぇ。。今年は、野原のつくしんぼうも早いかも。。

 美紀  2004.2.14  見たかったなぁ・・ウフッ

 この時期、ちょっと油断すると、手荒れがひどくなります。昨日から左中指に軽いヒョウソが出てきて、残る指先にはひび割れが(以外と手の皮が厚いので)走ります。

 と、一昨年までは、痛みを我慢しながらの日々を送っていたのですが、去年の冬からは、ご近所さんに分けて貰った血ノ池軟膏(発売所 別府市亀川血ノ池地獄とあります。効能は、水虫、田虫、かいせん、しらくも、あかぎれ、はたけ、やけど、しもやけ、かんがさ、ひび、肛門ただれなどに効くようです。)が救ってくれています。赤土のような荒い粘土質で傷口に刷り込むのですが、以外に痛みが取れてゆくのです。(流石に、ヒョウソの痛みは取れませんでしたが。)難点と言えば赤茶の色がしっかりついてしまうくらいでしょうか。そして、なかなか落ちません。。

 そのご近所さんは、すべすべの肌を夢見て、自分の顔にその血ノ池軟膏を塗ったそうです。。後悔したそうです。。

 美紀  2004.2.13  静かな日。。

 本当に静かな日です。。受験生は黙々と受験勉強をしています。我が家は受験モード一色です。。テレビもちょこっとだけ見てみます。笑い声も静かです。。飼い犬も、隣のよく吠える犬も、静かです。。受験生も、私も、二人の息子も、ちょっとだけよそ行きの顔をしています。

 美紀  2004.2.12  長男の嫁

 おおぉ、なかなか立派になって・・・母親とは今年の同窓会で会ったばかりなのですが、息子さんとは、何年ぶりだろう?緊張しているせいか口数は少ないのですが、何気ない顔立ちが純朴そのものの好青年です。両親と共に良い関係を育んできた顔です。是非とも、良い結果になることを祈るばかりです。

 友達とは34年前に教室の後ろで上品なとっくみあいの喧嘩をした仲でもあります。話すことがどういうわけか次から次と出てくるので、当時は「家が隣同士だったらいいねぇ」なんてこともどちらともなく言いだす有様でした。今でも「あのね・・・」と会話が始まる程です。結婚式もお互いがそれぞれに出席したかったので、同じだった予定日を彼女の方が変更してくれたほどです。。

 現在、彼女は蛸屋さんの長男(優しい人です)の嫁に収まっております。いつも会えば明るい彼女が、今回は、その口調こそ明るいのですが、内容が以外に重くて、親戚に囲まれた20年間の長男の嫁の立場を、訥々と語るのです。今、思い出しても涙が出そうです。。立場で物事をみたり言ったりする人の心はいかばかりのものか。弱い立場の人への思いやりは何処へいってしまったのか。。

 彼女の話し方には棘がありません。人徳と言うのでしょうか。いつも楽しそうに話します。それだけに辛いものがあります。そんな彼女も今では「嫁」も板に付き、忙しくても落ち着いた日々を送っているようです。やっと、私にも色々な話をする余裕が出てきたのでしょう。。・・・同級生の話も面白かったね。元気で頑張って、そして長生きして・・・今度は、ゆっくり温泉にでも行きたいねぇ。。

 美紀  2004.2.10  友、遠方より・・・

 明日、中学校の時の親友が、受験生の息子さんと一緒に我が家へ泊まりに田舎からやって来ます。家の近くの大学を受験するのです。母親の方は一泊の予定で、息子さんは一週間泊まります。随分気を遣ってくれているようで、タコ(家は蛸屋さん)が届いたり、米が届いたり。。我が家も勉強しやすい環境を・・・息子達の協力が頼みです。。

 美紀  2004.2.9  ごろごろ作戦

 ごろごろしながら運をあげる方法があるらしい。運の良い環境でごろごろすれば運も上がるそうである。西と東に黄色い猿の置物、窓には赤と白と黄色のチェックのカーテン、そして夜と反対の向きに寝る。お昼は鍋焼きうどんだそうです。ラジオからDr.コパの誘惑が聞こえてきます。。

 美紀  2004.2.8  ぼぉ〜っと

 昨夜は、上の子の咳込みが気になって熟睡出来なかったせいか、一日ぼぉ〜っとしていた。でも、3月18日(結婚20周年記念日で〜す。)から展示会があるというので、少しずつでも仕事のほうは進めなければならない。ぼぉ〜とした頭でもできる事をして一日は過ぎていく。。ぼぉ〜とした頭で最近のニュースの事を思ったりしている。。

 美紀  2004.2.7  むかし、むかし。。

 ごくごく小さい頃の記憶となると、だれがどんなことを言っていたとか覚えていることは多くはありません。自分の頭の上の方で、「美紀は、海に捨てられていたのだ。」とか「おまえは、木の幹と幹の間から生まれてきたのだ。」とか、父の仕事に付いて行き、家族が岩手に引っ越した事も、「夜逃げだったのだ。」とか。。すぐ上の兄でも7つ違い、その上の9つ違いの次男、そのまた上の16違いの長男、と、彼らがまことしやかに騙れば、難なく受け入れてしまうという感じだったのでしょう。。ふむふむ、こんな素直な時期もありました。

 美紀  2004.2.6  命の恩人? 

 私が母親のお腹に入った頃、母親はどうしようか・・と思ったそうです。上3人皆男だったので、私も男だったら・・・よっぽど子育てが大変だったに違いありません。。ところが、ある日のことでした。自分のお腹の上に、な、なんと、白蛇がとぐろを巻いているではあ〜りませんか。。夢でした。。これは、そう、きっと女の子に違いない%&#%!!!・・・・私は白蛇に助けられたのです。。

 美紀  2004.2.5  謎が解けた。

 今朝、主人が、注文していた箱を近所のSさんの家で受け取る時に、「待ってるよ、って下の子Yに言ってね!」と言われたとかで通学前のYに伝えたら、にやっと笑った。大部前にもSさんの通勤と同じ方角なので彼の車に乗せて貰っていたこともあったのですが、その後しばらく何も言ってなかったので、てくてく、学校まで歩いているとずっと親は思い込んでいたのです。。

 Sさんは、私達よりも年上なのですが、Yが小さい頃(小学校入学前)からのお友達なのです。保育園を辞め、ぷらぷらしていたYが、ぷらり覗いた仕事場に、その頃は自宅で仕事をしていたSさんがいて、お互い気が合うのか いろいろとお話をするようになったようです。Sさんは、本当に「お友達」と思ってくれているようです。。

 そういえば、Yがお弁当を持っていくのを忘れた日の朝、お兄ちゃんが自転車で後を追っかけたのに何処にもいなかった。。?帰ってきて聞くとバスには乗っていないと本人。。?「おまえ、歩くのはやいんだねぇ」「・・・・・・」

 哲二  2004.2.4  ガラスと石のコラボ打ち合わせ

 お久しぶりです。昨日は、今年の8月玉川高島屋で二人展をすることになった、ガラス&陶芸作家のkさんの工房に遊びに行ってきました。彼女のイメージは、陶芸と言うよりも、ガラスの方が強く、てっきり工房には、吹きガラスの釜があり、可成り暑く、「今夜は、とっても美味しいビールが飲める」とおもっていたのですが、ガラスは、他の場所に行ってつくっているとのこと、工房は、完全に陶芸の工房でした。kさんとは、話が弾み、8月の展示会には、ガラスと石のコラボ作品のデザインを. . . .お互いに何点か創ることに。そして. . . .。8月を楽しみにしてくださいね。

 美紀  2004.2.3 良かったね。

 三つの頃まで喋らなくて、心配の種だった下の子Yが、高校生になれるのだ、と思うと、感慨深いものがあります。。のびのび育った小学校の頃の笑顔がどうなるかなと、心配の中学校生活でもあったのですが、なんとか助けてくれる人もいて、失い掛けた自信も最近は取り戻しつつあるような彼をみていると、なんだか、ほっとする私です。人にも先生にも恵まれている子のような気がします。良い出会いのある高校生活でありますように。。

 美紀  2004.2.2  疑問  

 一羽二羽と、兎は数える。。そうなんだぁ、なんて、物心着いたときからあたりまえのように思っていて、どうして、そう数えるのかなんて最近まで疑問に思ったこともなかった。蟹の一杯、二杯もそうだ。でも、何年か前、アナウンサーが、蟹を一匹二匹と、言うのをきいて、んんん?と思い始めてから、なんだか、世間では兎も一匹二匹と数える人も出てきて、頭の中が混沌としていたのですが・・・。

 昨日の朝刊の宇多喜代子さんのコラムを読んで、なるほどと思ったのです。「薬喰(くすりぐい)のこと」というタイトルだったのですが、「「昔、・・信仰により、獣肉を食うことを悪と見なしたが、寒内に限ってシカ、イノシシなどの肉を食べて」身の養いにしたとある。」そんな歳時記の説明から始まって、「・・人に知られぬように兎肉を食べる際に、これは「うさぎ」ではなく鵜と鷺という鳥である、したがって一羽二羽と騙(かた)っていたとか、これは「しか」ではない「ろく」であると鹿肉売りが字音で商いをしていたとか、先人達は、言葉の知恵で薬喰いの現場をくぐり抜けてきた。云々」・・蟹の一杯二杯は、甲羅で酒を一杯二杯と飲んでいたことからきたのかなぁ???・・・烏賊の一杯二杯は?

 美紀  2004.2.1  伯母さん

 母方の伯父の連れ合いであります山形の97歳の伯母さんは、健在で、デイケアサービスにいって仕事をしてきてしまう程の人なのですが、遊びに行くと、いつも家の拭き掃除をしているという、まめな伯母さんでもあります。新しく息子が建てた家の、場所によっては一間半もある廊下(伯母さんのために作った?)をいつも黙々と拭いているのです。階段もピカピカです。

 たまに、行く私は、「お客様」扱いされてしまうときもあるのですが、小さい頃からかわいがってくれている伯母さんなので、居心地も良く、ついつい、足が向いてしまうのです。去年の夏も元気な姿で迎えてくれました。階段を拭いていました。。自分が間違って97歳まで生きたときの、お手本にしたいような伯母さんです。