12月の日記 

二人の気まぐれ日記(近況報告)

 美紀  2004.12.31  それでも新しい年は来るのです。

 台風が沢山ありました。地震も沢山ありました。12月だというのに夏日もありました。今日は雪が降りました。

 遠く離れた南の島々と大陸の岸部には地震と津波が押し寄せました。犠牲者の数が信じられない数字で目に耳に飛び込んできます。

 ・・何をどう考えていいのか解りません。・・言葉の限界を感じています。

 美紀  2004.12.27  寮母さんのこと

 昔、目黒に住んでいたことがある。常磐(ときわ)学生寮といった。いわき出身のお金持ち(といわれていた)が隣に住んでいて、その人が大家さんだった。足長おじさんではないけれど1度だけ顔を見たことはある。そこは格安で部屋を借りることが出来た。知り合いのつてでそこに私は入居できたのである。寮だから寮母さんが夕飯を作ってくれた。食費¥12,000で毎回違ったメニューで美味しかったのでしばらく手帳に記入してレシピも書いておいた。と、これは大掃除をしていたらその手帳がでてきて当時を思い出した次第。

 寮母さんは家庭科の先生をしていたせいか、家庭全般色々な事をさりげなく教えてくれていたように思える。今でいうカルチャー教室にも通っていて、ならってきたことを部屋に遊びにきた寮生に親切に教えてくれた。彼女自身満州に行ったり苦労したせいもあったのだろう奥の深い考えに四方山話も頷けるような訥々とした話し方が魅力だった。今日のように寒い夜は炬燵を囲んで編み物をしながら話も弾んだ記憶が懐かしい。

 そんな寮母さんが、一度だけちょっと興奮気味に話をしたことがあった。お見合い結婚だったらしいのだが両親が生活を優先して当時校長をしていた人の後妻になったらしい。それはそれで幸せだったらしいのだが、その後、意外な事実が判明した。そう・・彼女が密かに憧れていた人からも話があったそうなのだ。その話をした時寮母さんは確かに「許せない」という言葉を口にしたと思う。

 ・・当時、私は「そういうお話」という感じでしか聞くことが出来なかったようだ。それよりもずっとずっと年上の寮母さんがそういう話に力が入るということに驚いたのだ。若すぎて人間のことも人生も知らなかった、ということかもしれない。一言で言うと「子供」であった。でも、今は寮母さんの悔しい気持ちがよく解る。また会って色々なお話をしてみたいと、ふと思ったりもする。生きていれば100才近いだろうか。でも私達寮生よりもずっと健脚で元気だった寮母さん、今頃「くしゅん!」と、炬燵の中でくしゃみをしているのかもしれない。

 美紀  2004.12.26  お正月の思い出

 明治生まれと大正生まれの私の両親には「クリスマスプレゼント」なる言葉は無かった。お誕生日の「パーティ」「プレゼント」なんていうのも無かった。・・お正月がくると1つ年を取る世代だったからかもしれない。

 次兄が小さい頃大病をしたときに祈ったのだろう、その時神棚のお札が割れてその後次兄は快方へ向かったのだそうである。誰かから聞いたのか、話しているのを聞いたのか思い出せないけど。

 そのせいか「お正月」を迎えるための大掃除(沢山の掛け軸も飾った)餅つき、年越しのご馳走、お節料理、お年玉(16上のお兄ちゃんからは沢山もらった)等々、今でも強烈な印象が残るほどの行事だった。なんといっても日頃ほんとに静かな家庭だったから。

 楽しいお正月の思い出・・・お酒が入ると機嫌が良くなる両親と、気前の良かったお兄ちゃん達のお陰かな。。

 美紀  2004.12.25

 一昨日夜は片付けてて気が付いたら夜中の2時。もうほとんど中毒状態。いや、みんな起きてるものだからついつい動いてしまうのかも。

 昨夜は主人と二人で教会へ。静かなクリスマスイブ。手に持つろうそくの炎が心に沁みる。クリスマス信者の私達は端っこで神父さんのお説教を聞く。年々クリスマスが静かになっていくのは好ましい様なことを言われた・・。

 サ〜イレントナ〜イト♪・・むかしむかし、この歌を歌いながら星降る夜空を見上げ、こみ上げてくる涙にひとりもの思うこともあった。お正月の楽しい歌では・・泣けない。クリスマスは静かに一年を振り返る事が出来る、私にとっては貴重な一日。・・今年も・・色々なことを・・神に感謝。

 子供は友達とのクリスマス会。上の子などは朝帰りとなった。・・・オイオイ。

 美紀  2004.12.21

 頭が大掃除モードになってしまった。関心のある記事が目に入ってくるのと同じかもしれない。目に入る物が必要かそうでないか・・。しばらく掛かりそうです、この掃除。

 美紀  2004.12.20

 実はまだ大掃除の後かたづけが終わっていない。息子の部屋は親子で作ったベッドが置かれこざっぱりと体制を整えた。

 片づいていないのは本とノートの類。茶の間を占領している。古い手紙とか日記とかも混ざっているので読み始めると時間ばかり過ぎていく。今は懐かしい写真、友達からの手紙などに思いは若返る。皺は気になるけれど・・鏡を見たときだけじゃぁないか・・年など問題ではない、でも、若かったなぁ、それに、今よりも考えて生きていたな・・・み〜んな悩んで大きくなった・・か。。

 先に押入を片づけないと片づけようが無いので、今日は押入も。

 ・・結婚式以来しまって置いてどこにいったのか判らなくなっていたピカピカの結婚指輪が出てきた。5000円の聖徳太子が出てきた。AAと印刷のある1000円のピン札が出てきた。・・1万円の聖徳太子は・・まだ出てこない。・・頑張るぞ・・時間の問題のようだから。

 美紀  2004.12.19

 17日の山梨での忘年会。御近所の建築家DEGUさん家の、建てたばかりのモデルハウスは格安でお泊まりも出来るので、飲みつぶれてもOKという噂も作家仲間では広まってしまっている実際雰囲気の良いステキなお家です。大きな掘り炬燵を囲んで、極上の日本酒の飲み比べ・・3本とも(名前は持参した八海山しか記憶にないけど)特徴があって・・美味しかったな・・。

 初めての参加でどんな雰囲気かな・・と思いながら・・皆さんお若い・・と思いながら・・ご馳走も盛りだくさん・・と思いながら・・飲んだら皆さん楽しいお友達・・と思いながら・・飲み過ぎた・・かも・・まだ頭がフラフラしてる・・。

 美紀  2004.12.16  セレスY2の発展を祈って

 今日で東小金井のセレスY2でのふくろう展が終了。遠いところからいらしてくれた方々も多く、感謝、感謝です。

 今回の展示会の広報も含めてオーナーの米山さんには本当にお世話になりました。一所懸命街興しの為にセレスY2を盛り上げようとする姿勢には尊敬の念さへ覚えます。生きていくことに刺激を与えてくれる人でもあります。彼女のお母様も実にステキな方です。気負いのない自然体に私はファンになってしまいました。

 これからも多くの人々の「良い気」を集めて是非とも目的を達成してほしいと思います。

 私達もお役に立てるように頑張らなくっちゃね! V(^c^)9。

 美紀  2004.12.14  「いちご想い」

 グレイのホワイトロードの歌詞を捜していたら「いちご想い」のHPにたどり着きました。なんだか優しい気持ちになれそうな、詩のような日記です。http://blog.goo.ne.jp/ichigo-monde/c/610616146dc64f65262672091d9b4f12

 美紀  2004.12.13  アナホリフクロウ

米国中西部のプレーリーに春先暖かくなると南の方から子供を産み育てるためにアナホリフクロウが飛来してきます。

 年間降雨350m/m、気温は40度にもなる、人の住めないような過酷な土地です。大きくなりかけた木々でも落雷があるとたちまちの内に燃え広がり、だから、見渡す限りの草原がどこまでもどこまでも続いています。そんなところなのに、様々な動植物がお互いの習性を受け止め合いながら共生し生きながらえています。

 あっちこちに掘られているプレーリードックの穴は未完成だとアナホリフクロウの巣に最適な物になります。穴の奥は以外と涼しく、食料庫にもなります。米国バイソンの糞を穴の中に運び入れ、それは発酵すると一定の温度で穴の中を暖めてくれるので雛を孵すのに欠かせません。穴の周囲に集められたバイソンの糞の下には湿気を求めて小さな虫達が集まってきます。それは子供達の餌にもなります。

 卵が孵って子が成長すると巣穴も狭くなります。もう一つ巣穴がほしいところです。母親は怖がって生家を離れたがらない子供達を20m程離れた新居に移すためにあの手この手でおびき寄せます。でもやっぱり美味しそうなご馳走が子供達にとっては一番の魅力のようです。トットットッと駈け着けて引っ越しは無事終了です。(NHK地球不思議大自然より)

 美紀  2004.12.11  とんでもない話

昨日会場へ行く途中、国分寺の駅で「とんでもないもの」を見てしまったのです。若い女性2人・・・。なんと、ホームから飛び降り、上り下り2本の線路を駈けて横切り反対側のホームによじ登ったのです・・・???・・・!!!・・・あっという間の出来事で、数秒後に電車が入ってきて。・・・なにを考えちょるかぁ!!!? です。目撃者である私達と乗客、あっけにとられてしまったのであります。ほんと、自分の子供だったら、張り倒したいところです。

 美紀  2004.12.10  ふくろう展、初日です!

 飾り付けも、作品が良いせいか、なかなか良くできて、会場の雰囲気も最高で、そんな中で始まった同窓会のようなオープニングパーティ。懐かしい出会いもあったり、新しい出会いもあったり・・・でも、皆さん元気そうで・・・人生と賢明に向かい合って・・・生きてるな・・・と、感じ入る私。美味しいワインがより美味しく・・・感じるのでありました。

 美紀  2004.12.7

 なんだか身体が軽い。咳は残っているけれど、久しぶりに快調。

 昨日、仕事場の床をネズミがサッサッと横切った。至近距離2mで立ち止まる。うす茶色、15cm位。割と大きい。一瞬・・・仲良くなれそうな気がした。けど・・・退治しなければとも思った。やっぱり、毒団子かな。。仕事場の隅の方からカリカリ音がしてたけど、やっぱり、君だったんだ・・・。

 美紀  2004.12.6

 何年か前、TVで見たのだけれど、シェルターの中で数名の男女が生活を営むという実験がアメリカで行われるという話があった。全て、空気までも、遮断されるのだ。作られた環境の中での自給自足の生活。

 ・・・本を読んでいたら、フィクションなのだが、そのシェルターの中で生活していたという人物が登場する。脇役で悪役(これはあまり関係ないけど)。彼は半年で実験は中止になったというのだ。急に酸素が少なくなってきて、高山で暮らしているような状態になってしまったという。酸素が少なくなっていったのだ。

 酸素量が減少した原因は地中のバクテリアが予想以上に酸素を吸収していたこととドーム内の建築物のコンクリートに炭酸ガスが吸収されたこと。植物が酸素を出すための炭酸ガスが循環から奪われてしまった、と、あった。

 忘れてはいたけれど、気にはなっていたシェルター内の生活、その後。・・・そうだったんだ、何百億円の生態系はコンクリートのせいで、一時中止・・ということなのか。・・・ふむふむ。

 美紀  2004.12.5  間違い・・ない

 ふうわりと 初夏の風かな 空蒼く 「夏日」と言った FM横浜 12月 ・・・字あまり。

 美紀  2004.12.4  

 仕事場のストーブの上に備長炭(中国製)が載せてある。載せといて火を熾そうと思ったのだが一向にその気配がないのでほって置いてあるのだ。それでも、ストーブに火を付けると仄かに備長炭の香りがしてくる。なかなか良い・・。

 と思っていたら服に引っかかって・・落ちた。・・拾った。何気なく手で掴んでしまった。・・熱い。・・それでなくても今回の風邪で遅れすぎている仕事。「やけど」で出来ませんでした、なんて目もあてられない。根性で冷たい水に手をかざす。・・幸い痛みもとれ、大したことはなかったのだけど、「ボーっとしてたらあかん!」なのだ。気合い・・・で無病息災。ふくろう展まであと6日!

 美紀  2004.12.1  一家で風邪なんて・・・

 12月の始まりは、咳コンコン。4人が変わりばんこに咳をする。ウィルス性の風邪ほど厄介なものはないな・・。

 症状その1・・まず、なんだか世の中がつまらなく思えてきたな。その2・・次の朝起きたら「そんなだったら喋るな」ということなのか喉の奥に大きな固まりをつっこまれたような重い感じがした。その3・・喉がちょっと痛いよ。その4・・微熱もあるのかもしれない・・でも仕事はできる・・ちょっとスローだけど。その5・・横になるといつでも「寝られます」状態・・峠というのかな。その6・・寝てても、起きてても治りそうな感じ。スブロッカのリポビタンDと炭酸割りで「ハハハ」と世の中やっぱり楽しいななんて思えてきた・・今日の夕食。

 1〜6はこの一週間の私の記録。なんだかんだと、まだまだ小佐野家の咳は続くのだろうけど、回復期なのか咳も元気な感じがする。でも夫、あなたは偉い!・・この大変な時期に仕事もホントによく頑張っていましたね・・早く完治しますように!!!

 でも、一家で風邪なんて、10数年前に九州の姪っ子の家に遊びに行ったとき、強力インフルエンザに罹って以来の出来事かもしれない。。