2005年5月の日記 

二人の気まぐれ日記(近況報告)

  美紀 2005年5月31日

 およよ........だ。私にとっては一番良い季節のはずで楽しい思い出の1つ2つは毎年あったように思うのだけれど..........今日で5月も終わりじゃ。

 .......本を読みながらのスクワットが結構長く続けていられるので昨日から始めた。仕事しながらのリハビリはどちらにも集中できないと判断。けじめを付けた方が、気分的に落ち着く。本も面白いとあっと言う間に時間が経って読後感もいい。読書も大義名分を作って読めるとわだかまりなく読むことが出来るのだな.......今までは結構気を遣って読んでいたのかもしれない。誰に?誰になんだろう..........。(思うに父親が「本ばっかり読んで.......」と非難めいた物言いに反抗しながら読んでいた頃のトラウマがいまだに残っているせいかも)

 とはいっても、今読んでいる本がヒッピーの英国人母親と姉とモロッコで暮らす5才の女の子.....フロイトの曾孫のお話、映画グッバイ・モロッコの原作........なんだかその日暮らしの物語。観光客で成り立つ町の生活。時計の気配が感じられなくて........暦も感じられなくて........感じられるのは、日の光と夜の闇。

 ........でも、5才の頃ってそんなものだったかもしれないな。もしかしたら、それは宝物のような時間だったのかもしれないとも.........。

  美紀 2005年5月28日  人間・・だった

 人間、やってるのかな?と、ふと思った。最近の体調が意志とは関係なく変化しているように感じるから。そうなると顔の皺皺も、人間だからしょうがない、物忘れだってしかたがない、涙もろくなってもしかたがない・・・このあたり、子どもの方が自分よりも違和感無く受けとめているのに気が付いたり。

 問題は主人と自分自身。「皺、増えたな」「すねが細くなったような・・・」当たり前であろう変化にお互いとまどう。まだまだ若さを引きずりたい年代であるということでも・・ある。。

  美紀 2005年5月27日  筋トレ

 筋トレに飽きた、と言ったら、手を折ったことのある御近所さんに「あまい!」と言われた。まだ良い方だ、とも。彼女、リハビリの痛さが身にしみているらしく、歩くのは日課。リハビリの先生がサド公爵のようだったと言う。その笑みも「不敵な笑い」に見えるというから相当な痛かったに違いない。

 親戚のおじさんが50年やっていた仕事から身をひいて、悠々自適の生活かと思っていたら、あまり歩かないので歩けなくなったらしい。歩くと痛いらしい。今「車」で整体に通っている。

 その奥様も整体に通っている。山登りが好きな人で、聞くと、歩きすぎだという。

 ん〜〜〜〜。ほどほど・・・が良いのか・・なぁ。

  美紀 2005年5月25日

 昨日の夕刊に肺癌治療の事が載っていた。あまりのタイミングのことに、一瞬目が点になった。

 がん、腫瘍の高度先進医療。・・・肺への転移癌、早期の原発生肺癌、腫瘍の大きさ2センチ以下、リンパ節への転移がない・・・が条件。「2センチ以下の腫瘍に限れば、約8割は3年経過しても再発がなく、予後は良好です。2センチを越えると再発率が5割以上・・・」

 ラジオ波焼灼・・・手術は1時間程度、入院は平均4日間。

 私の知ってる人には、リンパ節に転移している人もいる・・・。でも、なんとか小さくすることが出来れば治ってしまうということかも。小さく・・・なる方法・・・・・。

  美紀 2005年5月24日  哲二の近況

 そごう八王子店 8階催会場 「手しごと クラフト作家展」 (5/24(火)〜30(月))に参加。期間中会場に詰めております。

 今日は朝6時からの飾り付けに5時に出発。初めての会場なのでとまどう場面もありますが、お天気も上々。さて、どんな出会いが待ってるかな?

  美紀 2005年5月23日

 そんなに若くて、なんで?という世代の人たちが癌に罹っている。30代40代50代。まだまだこれからではないか。にこやかに笑っていた人が今はもういない・・・。お元気でお過ごしでしょうか?なんて普通に書けるはずの言葉もためらってしまう知人もいる。お元気でお過ごしのことと思います・・という書き出しに力が入る。・・なんだか切ない・・。

 友達の義弟が肺癌だという。第4期。名医を捜している。藁にもすがりたい身内の心証に・・言葉もない。

  美紀 2005年5月22日  超能力

 昨夜グリーンマイルをTVで見た。残虐殺人犯のぬれぎぬを掛けられ、弁護のすべもなく、それでも辛い現実を感じながら生きるより、下された判決を受け入れたほうがましと、親しくなった看守ポールに自分のパワーを与え、望みを託す、黒人大男コーフィ。

 人より遙かに生きながらえられるパワーを与えられたポールは多くの近しい人々との別れを乗り越えなければならない・・人は皆、グリーンマイルを歩いているのかもしれない。死刑囚の歩く辛い道と重ね合わせ、ポールはその長過ぎると思い始めた人生からそんな思いを抱いてしまう。

 でも、もしもコーフィがお隣さんだったら、と思ってしまった。その能力で難病も治してしまう、ネズミの蘇生までしてしまう。心の中を覗かれるのはちょっと怖いけど、それでも、やっぱり人の元気な毎日には変えがたいような気がするのだ。。

 夢・・・なのだろうか。。

  美紀 2005年5月20日

 手紙を書き始めて「新緑の・・・」ちょっと違うな・・と思っていたら、きょうの夕刊に千 宗室さんのエッセイ。「遠くに眺める山肌の深緑の間に見え隠れしていた若葉たちが、あっという間にふてぶてしくなるのがこの時期だ。」なんと的を得た表現かと思いました。毎年毎年、新緑に感動し、でもそれは、ほんのわずかな期間で、いつの間にか深い緑色に変わってしまう・・。ほっ、と顔がほころぶ新緑とはやっぱり違っていたんですね。とはいっても力強い緑に変わりつつある草木の勢いから私達は活力を感じることが出来ます。

 さぁ!草取りをしよう!

  美紀 2005年5月19日  ギャラリー「アーヴェント」

 5/10(火)〜31(火)は、山梨県富士吉田にあるギャラリー「アーヴェント」で哲二の個展です。割と広い空間です。期間が3週間とあります。お時間が取れましたら、どうぞお出掛け下さい。

  美紀 2005年5月18日  順調です

 夕方、あたりがセピア色になる。整体の揉み疲れか、ちょっと横に、のつもりが長くなって、でも寝覚めは良い。足の筋肉も順調に快復の方向へ。後は飽きないように真面目に筋トレ出来るかどうかかな。

  美紀 2005年5月12日  誕生日

 朝、上の子が珍しくハイトーンで「おはようございます」ときた。ん〜、なかなか爽やかな朝だ。

 送り出してから気が付いた。きょうは彼の誕生日だったのだ。そう言えば去年も忘れていたんだった。

 一年が早い。

  美紀 2005年5月11日

 2週間振りの整体。整体師さんと、食べなくても生きていける話から広がって、水銀が空中を飛ぶ話や、身体に良くない物質が今は飛んでるというお話、食べ物が排出してくれる場合もあるし、汗とかで体内から出ていくとか、原子レベルまで掘り下げるともう物体は電気で繋がっているというお話で、霊体質の話になって、もうそれは食べなくても生きていける世界に近い状態で・・ふむふむ・・そうなると「思い」も距離に関係なく伝わるという、そんな話になっていきました。実は私こんな話大好きです。

  美紀 2005年5月9日  夢で良かった・・

 自分の寿命があと10数分しかなかったらどんな事を思うのだろう。そんな状況の夢を明け方にみた。夢の中では私は夕方6時までの命。リアルな夢だった。薄暗い、人々がいる病院の通路。あと何分?・・時間を気にしながらの思考。私は友達に電話をかけた。無性に彼女と話がしたくて。まだ時間が残っていた。実家の兄に電話をする。懐かしい声が聞こえてくる。私自身言葉があったかどうかはわからない。あと数分。・・秒読みにさしかかったところで夢から現実に。

 夢占いだとどうなるのだろうか、と気に掛かるところだけれど、全く変な夢をみたもんだ。でも好きな人たちの事をきっと思い浮かべながらの・・・そんな疑似体験。

  美紀 2005年5月8日  謙虚な気持ち

 生涯一国語教師だった大村はまさんの「優劣のかなたに」というTVを見た。その語り口がとても優しい。語るお話も、とても謙虚で優しい。内容も心にストンストンと落ちてくる。

 同じ教え方だとどうしても前年の子ども達と比較してしまう。子ども達を馬鹿にしてしまうこともある。それではいけない。いつもと違う教え方であれば、どの学年も新鮮な気持ちで、ちょっと心配しながら謙虚な気持ちで子ども達に接することが出来る。私の授業は完璧だ、これでどうだ、と威張ることもない(彼女自身、威張られることが嫌いだったそうです)。

 戦後、教材もなく、ざわついていた100人以上の受け持ちクラスでは、走り飛びこんできた子どもを抱きしめ、学習内容を書き添えた新聞の切り抜きを手渡したそうです。勿論興味を持ち始めて近寄ってくる他の生徒一人ひとりにも。いつの間にか静かに、目を輝かせて勉強する子ども達の姿に、彼女は驚きを隠せなかったそうです。・・騒いでいても、ものを求める気持ち、やることがあってやれる、なら、子ども達は豹変する。環境が人を変える。責任は教師にあると、その時、骨の髄までたたき込まれた、と。

 教育は一人一人を育てるもので、出来るとか出来ないとか、そんなことで悩んでいてはいけない。優劣を考える暇の無い授業、その先の世界に導くこと。出来る、出来ないが気にならないことを、出来る事を精一杯できるように、それが自分の力だけでと思わせるように導くこと(恩師の言葉でもあるそうです)が教育である。それはきっと子どもが生きていくにおいて力になるものだから・・・。

  美紀 2005年5月6日  ささやかな夢

 昨夜のTVでロシアの68才のおばあちゃんが全く飲まず食わずで5年間過ごしている映像を見た。水分はほぼ100%に近い肺の働きによって摂取でき、ビタミン類は、太陽光を浴びることによって腸内細菌が作ってくれるらしい。体細胞も30才並みだそうである。

 中国の炭だけを食べてるおばぁちゃんとか土だけを食べてるおばぁちゃんとかも記憶にあるので、なんだかとても現実的な事のように思える気もしないでもない。美味しい空気と太陽の光があれば人は生きていけるのだと思うと、なんだかそれだけでほっと出来るような気がする。

 栄養、栄養と呪文のように唱えられ食べなければ元気にならぬという食生活に脅迫を覚えながら作る食事をとっても色々な病気に悩まされることに多い昨今、もっと力を抜いて食事を楽しもうではないかと言われているような気がして痛快な番組だった。

 田舎でひなたぼっこをしながら大往生した伯父がいた。海の幸、山の幸が有るとは言え限られた食材で生きていた世代、なのに元気だった。 すごいおばぁちゃんになったとき、縁側でひなたぼっこが出来るような生活が実は小さい頃からの私の夢なのは、そんな伯父がとても羨ましく感じてしまったせいもあるのかもしれない。美味しい空気と太陽はやっぱり身体に良い、ということをもしかしたら彼は知っていたのかも。

  美紀 2005年5月4日  

 窓もピカピカにしてくれた。雨戸の総張り替えもしてくれた。これで蚊も入ってこないだろう。窓から眺める新緑も鮮やかだ。  なんだか、息子達が頼もしく思える今日この頃であるな。